世界の原生地から日本列島への伝来/導入、そして日本人の集約技術で創りあげた美果の生い立ち。その経緯を各種文献を精査して、内外の原生果樹の分類・来歴を大系的に纏められ、「果樹園芸学」として後世に残こされた故/菊池秋雄博士の力作、また全国関係機関や果樹産地の大勢の方々を総動員して編纂された故/梶浦実博士の編著「果樹農業発達史」他、府県の果樹園芸史・郷土史等、先人らの著作、近年においては園芸学会編纂の「園芸学全篇」・「新園芸学全篇」等の文献・資料により、技術開発/進歩の歴史、果樹産地の動向等を網羅し、日本の果物を育てた「果樹農業の発達史」として各時代の歩みを果樹の種類、年代/年次別に整理し編者の知見を合わせ、ここに年表形式として纏めた。 品種・技術の導入に尽力された人々、海外から苗木/穂木の導入と共に侵入/蔓延した病菌・害虫の防除に、また耐性品種育成・その栽培/流通技術の開発に取り組まれた多くの研究者・果樹農家の方々の工夫と努力の足跡/功績を古記録で辿る。 人肩による徒(カチ)出荷に始まり、元禄時代から江戸/上方/各地市場に向けての船送り、北米/満鮮輸出、みかん列車や低温輸送/流通に尽力した人々の年代記。品種改良・栽培技術、および器機/施設・貯蔵/選果荷造施設・果実加工の発展と技術進歩の歩み。 ●編者は広く各種果樹の原生地と、その世界の産地を地球の裏側まで尋ね歩いてみたが、日本の素晴らしい果物に優るものはなかった。 (注)古文書・古記録・引用文献等は、その出典を[ ]内に記した。幾つかの出典を併記しているのは、文節の内容や古地名、古称、等を考証したものである。古地名は「地名大辞典」・「国語大辞典」等により考証し、( )内に現在地名を挿入した。 ◇柑橘(カンキツ)ー(編集中)稲作の叶わぬ急傾斜地の階段畑で営々と産業化、元禄時代から紀国屋文左衛門はじめ、先人たちが江戸/上方市場に売って出た紀州蜜柑、欧米輸出で「テレビオレンジ」などと、持てはやされ人気を得た温州みかんも、オレンジ/果汁の輸入自由化を迫られ、海外産の柑橘・果汁の流入で国内市場が飽和し、政府の減反政策で一時は減退したが、光センサー選果機の開発/導入、ハウス栽培等、品種・栽培技術改良で味の良い産地/産品は生き残り、今また、「不知火/デコポン」・「はるみ」などに代表されるタンゴール等の人気品種・産品が続々と店頭を飾る。江戸時代以降はこちら。昭和以降はこちら。 ◇苹果(リンゴ)ー(編集中)「国光」・「紅玉」にはじまり、「ふじ」等の優れた品種改良と、矮化/集約技術で世界に冠たる日本のリンゴ。今また輸出産業としても期待がかかる。 ◇柿(カキ)ー我が国原産の甘柿は、「御所」柿に始まり、「富有」柿の育成、その後の優れた品種育成で産業として発展。脱渋技術の開発で活気付き安定商品となった「平核無」等の渋柿。古来伝統の「干し柿」・「ころ柿」も、隙間商品として生き残っている。 ◇葡萄(ブドウ)・キウイフルーツー(編集中)。品種改良で原産地の味を越えた日本のブドウ。カンキツ類の代替え作に増えたキウイフルーツは優れた国内品種も育成され、需要は輸出国/ニュージラドの消費宣伝が追い風となった。 ◇梨(ナシ)ー(編集中)日本ナシの歯切れと清涼感は世界の人々にも人気の味。「幸水」はじめ、三水の品種育成/普及で日本ナシの国内人気が高まった。香気と食味を誇る洋ナシは、高級/贈答果実としてその地歩を固めた。 ◇桃(モモ)と李(スモモ)ー(編集中)モモは、女王/卑弥呼(ヒミコ)の時代から、邪気を祓う神聖なものとして祭祀に使われ、薬としても珍重された桃仁。明治時代に、清国華中から導入された水蜜桃を改良、多数の品種を生み出し、世界に誇る肉質の桃は、最近は中国にも里帰りするほどの人気。日本から北米に渡った日本李は再び里帰りし、初夏を呼ぶ味として人気を独占。 ◇無花果(イチジク)ー(編集中)女性好みの味の代表格/イチジク。日本生まれの「桝井ドーフィン」は今も現役の主役品種。イチジクは肉食好きな人の生活習慣病の切り札。 ◇梅(ウメ)・杏(アンズ)・栗(クリ)・その他果樹ー(編集中)・戦時中は兵隊さんの飯盒(はんごう)弁当の唯一の御采として兵士の命を守り、日本の健康食品の横綱になった梅干し。日本の杏は、平安時代から「杏仁」として生薬に用いられ、ヨーロッパ杏とのハイブリッド育種でアプリコットの味を超えた品種が育成された。古い歴史をもつ栗は品種改良で、中国からの外来害虫/クリタマバチの被害を制した。 ◇主な引用文献・参考資料 【ひと言】
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